mumu’s blog

映画で感情を乱しながらエッセイ書いています。

ずぶ濡れのブラッド・ピット

 

わたしは所謂、胸糞映画が好き。

絶望や孤独はわたしの感情を育ててくれた。映画の中だけではなく、わたしは絶望と孤独の中で夢を見続てきた。その夢を追いかけて言葉を並べることが今に繋がっている気がするから、わたしはまだせめて映画の中くらいは取り返しのつかないほどの絶望を味わいたい。同時に現実ではない安心感を味わいたいのかもしれない。

 

 

 

ブラッド・ピットで思い浮かぶのは「セブン」のずぶ濡れの彼。額の傷。違和感なく唇の端に乗っかる短くなった煙草。だらしなく着崩したのか着崩れたのか、色気が収まりきらない彼のスーツ。濡れた靴の中で逃げることができない足の不快感は観ているわたしの足先にまで伝わってくる。

 

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雨が印象的な映画は、雨の日に思い出す。朝目が覚めた瞬間に感じる辛気臭さは雨の日にしか感じられない特別感。そんな特別な雨を「悪い天気」だなんて呼ぶのはあまりにも雨が可哀想で。

 

仕事終わり、恋人の家に泊まりに行く日に限って雨が降る。ふわふわに巻いた髪の毛は肩を落としたように湿気で伸びる。少し背伸びした余所行きの下着がカバンの隅でふやけてしまいそう。恋人の前でも毎日の日課の保湿に時間をかけるために基礎化粧品は一式詰め込んできた。ずしりと肩に食い込むのは荷物の重さなのかあなたのために努力する私を見てほしいという心の重さなのか。

 

夕方の降水確率が40%だった日。賭けるように玄関に傘を置いてきた日。帰宅しようと外を見たら空が顔を歪め始めていた。運が悪い、賭けに負けた。降り始める前に帰ってしまおうと5歩進んだところで頬が一滴うけとめる。人生の分かれ道は、きっとこんな感じで繰り返されているのではないかと思う。大きな決断ではなくてもどちらを選ぶかで家に着いた時の姿も気持ちも違うのだから。そんなことを思いながらコンビニで人生の軌道修正をはかるために透明の傘を握り、折り畳み傘を広げる人には一生勝てない自分の手と透明な個性のない傘を見た。

 

 

 

「私、雨がすきなの。」

すらりとした彼女がそう言うと雨が美しく見えてくる。次の雨の日は「今日は雨ですね。」と話しかけてみようとこっそり決意したら雨が降る日は土曜日ばかりになった。まるで変な虫が寄ってこないように雨が彼女を守っているみたいで。月曜日にわざわざ土曜日の雨を持ち出せない僕を見抜いているようで。

 

 

 

 

 

あなたが寂しそうにしていると私の寂しさが少し、ほんの少しだけ和らぐのでした。笑顔の印象しかないあなたが独り誰の胸にも抱かれず泣いていることを雨のカーテンが広げられた灰色の世界に隠されるのでした。家にたどり着くまで待っていてくれなかった涙の群れが傘の中に隠れるあなたの顔の上で踊り続けるのでした。それを我慢できずに傘を細め傘を下したあなたが天を仰いで悲しみと孤独に溺れる姿に傘を広げるのは私でありたいと思うのでした。

 

雨で濡れた体が寒さで震えるのは、もしかしたら誰かの体温の熱さを知っているからなのかもしれない。孤独と悲しさに震えられる人は、それができない人より人間らしく愛嬌があっていいです。

 

 

 

 

 

そんなことを思わされる雨が印象的な映画。

セブン

きみに読む物語

おおかみこどもの雨と雪

世界でいちばん不運で幸せな私

 

またどこかで、雨の映画を教えてもらいたいです。