mumu’s blog

映画で感情を乱しながらエッセイ書いています。

ドライブ・マイ・カーの躍進劇

 

 

アカデミー賞

 

きっと映画を中心に生活していない人でも一度は見たり聞いたりしたことがある賞だろう。

アカデミー賞」の作品賞、監督賞、脚色賞、国際長編賞の4部門に日本の映画がノミネートされたらしい。それはすごい快挙らしい。

 

 

正直、細かいことや詳しいことは置いておいて近くに上映している映画館があるなら観に行ったほうがいい。アカデミー賞にノミネートされることの凄さとか、どのくらい驚くことが今起きているかなんてちゃんと理解しなくていい。ミーハー心でいい。観たほうがいい。

きっとネットには、難しいだとか観る人を選ぶだとか、映画評論家ぶった小難しい感想が投稿されていたりアカデミー賞の各部門にノミネートされていることを疑問視して作品自体を良く書いていないものもみつかるだろう。

それでもいい、それでも観たほうがいい。映画に賞を贈る国際的な映画の祭典アカデミー賞の4部門の選考に残っていることは事実なので。どれだけ国内の映画好きがいろんなことを言おうが今起きていることはすごいことなので。日本映画のあの空気感を大きなスクリーンでどうか観てほしい。

 

 

というのも、わたしはアカデミー賞にそこまで興味がないけど映画好きとして今「ドライブ・マイ・カー」が日本映画の歴史を変えていることだけは分かった。

心を円グラフで表すとミーハーが80%くらいだった。そんな円グラフを胸に抱いてわたしは映画館に向かった。3時間ドライブ・マイ・カーと真剣に向き合った。わたしはアカデミー賞4部門にノミネートされた作品を映画館で観た。細かいことはなんだっていい、わたしはしっかりとこの作品を観て満足した。

 

 

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おもしろいとか、おもしろくないとかそんなのじゃなかった。「生きろ」と言われた気がした。わたしはこの作品に「生きろ」という意味を見た。生きて苦しんで悲しんで死んでいけと、それでいいのだと、楽しいとか幸せとか嬉しいとかそれだけが人生の目標ではないのだと、どんな人生でもそれは人生であり生きた先で疲れたと涙を流して終わればいいのだと、愛した人がどんな人間かとか家族に恵まれたかとかそれは生きる時間で起きる一節にすぎないのだと、死ぬまでに起こることはみんな違うけど「死ぬ」ということはそれを疑いたくなるほどにみんな一緒なのだと。

 

わたしはそんな風に感じた。胸の奥の、いちばん痛みに鈍い部分をドンっと思い切り殴られてやっと少しだけ痛い気がしたような痛くもないようなそんな感じだった。

 

だから、どう感じてどんな感想を持つかは本当に観た人によると思う。観た人それぞれの感覚でいい。それがこの作品の凄いところじゃないかと、わたしは思う。

誰かの何かに影響されない感想が自分の中に生まれる。それがあなた。それがドライブ・マイ・カー。

 

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気取らなくていい。気負わなくていい。おもしろくなきゃおもしろくないと怒ればいい。涙が出たなら映画館の暗闇に頼って流し続けたらいい。淡々としたシーンが眠気に突き落としたなら眠ってしまえばいい。言葉にならない感情であふれたなら作品をただただ評価したらいい。

 

 

 

 

 

アカデミー賞にノミネートされたらしい。」

そんな理由で映画を観に行くことがどれほど贅沢か。

 

映画を気軽に観るきっかけにもなってほしい。