mumu’s blog

映画で感情を乱しながらエッセイ書いています。

ウエスト・サイド・ストーリーの意味

 

※ネタバレ考察です

 

 

スティーヴン・スピルバーグ監督でリメイクされた本作。

1950年代後半、ポーランド系とプエルトリコ系の敵対したグループとそこで生まれたラブストーリー。(あまりの名作なのであらすじなどは割愛します)

 

 

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ここからネタバレと偏った感想を含みます。

 

ヒロインのマリアが生き残った意味、彼女が生き残るのは何故なのか…。観終わったとき引っかかることはここだった。決闘を止めてほしいとお願いしたマリア。それに応えたトニー。死んだ兄。マリアに頼まれた伝言を伝えに行き強姦される兄の恋人アニタアニタの言葉を信じて自暴自棄になり撃たれ死んだトニー。

なぜマリアは生き残るのか。わたしは疑問だった。あるブログ記事を読んで納得したと同時に今この時代にリメイクされた奇跡、今このストーリーから学ぶべきこと、今考えること、現実で起きている争いに突き付けられるウエスト・サイド・ストーリーの本当のストーリーが見えた。

 

 

本作になんとなく似ているロミオとジュリエット

互いの大切な人間の命を争いで奪われ、両家は肩を落とし、反省し、争うことをやめる。そんなストーリーはたくさんあった。ロミオとジュリエットだって何度もミュージカルや映画になり世界中でたくさんの人が観ているはずだった。たくさんの人が未来ある若く美しい男女の死に涙を流したはずだった。

それでも、差別も争いも戦争もなくならない現実。戦争で失われていく命は物語の題材にはならなくても、誰かのロミオであり誰かのジュリエットに違いない。誰かが命懸けで守りたい存在で誰かを命懸けで守りたい人に違いない。そんな人たちの死をもっても争い続ける世界にウエスト・サイド・ストーリーは「今までたくさんの死を見て争いが終結するストーリーがあったのに、世界はなにも変わらないね。」「じゃあ、もう映画の中くらいは命を犠牲にするのはやめるよ。」とわたしたちを突き放し見せつけてきたように感じた。命を落とさないという犠牲になったのがマリアだった。

 

エンドロールが流れたときにわたしが感じた絶望はこの世界に生きている後ろめたさに似た、まさに今起きている戦争に対する辟易とした感情だった。

 

「恋や愛やで争いは終わらない。現実は映画みたいに綺麗ごとではないから。世界はそんなに優しくないんだよ。だってほら、これを観ろよ。愛とか運命とか、戦争の前では無力だろ?」って映画が叫んでいるみたいだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年。侵略戦争が起きている。

ひとり、ふたりの死では終わらない戦争が起きている。現実は苦しい。スクリーンで観る史実の戦争でさえ苦しいのに、わたしがこうやってパソコンを開いている間にも「戦争」で誰かの命が奪われているのが、わたしは苦しい。動悸がするし胃酸が上がってくる。色を認識できなくなって全て灰色に見えてくるし、平和ボケして生きている自分が憎くなる。こうなってやっと、自分がやりたいことより「やらなければいかないこと」に気づくわたしを叱ってくれと甘えたことを思う。

 

 

世界、あの人をどうか救ってください。

 

あの人とは、誰かの心にある「あの人」です。言わば生ける者すべてです。