mumu’s blog

映画で感情を乱しながらエッセイ書いています。

二トラム/NITRAM 【映画】

 

映画のロケ地にもなり日本からの人気も高く、楽園とも呼ばれていた観光地で起きた銃乱射事件。

 

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”その日”までの彼を描いた映画「二トラム/NITRAM」を観て、自分の傲慢さに呆れた。

 

 

 

 

 

 

ママは僕のことが嫌いだ。だから、僕もママが嫌いだ。いつも僕を呆れた顔で見て、自分の思い通りになるように注意してくるから、僕はママが嫌いなんだ。

パパは優しくしてくれる。でも、好きなわけじゃない。パパは、ママが僕を嫌っているから優しくしないといけないと思っているんだよ。本当に優しいわけじゃないんだ。きっとパパも僕のことが嫌いだ。だから、僕もパパが嫌いだ。

本当はママもパパも好きなのに。本当はママもパパも僕のことを愛してくれてるって分てるんだ。僕たちは上手くいかないんだ。きっと僕のせいだよ。

 

 

 

マーティン・ブライアント

「僕」の名前はマーティン・ブライアント。子供の頃に「二トラム」というあだ名をつけられた。僕は二トラムって呼ばれるのが大嫌いだった。馬鹿にしたあだ名をつけた同級生たちも大嫌いだった。僕はもう二トラムって呼ばれたくない。

 

 

そんな風にはっきりと気持ちを言葉にできる人間だったら、言葉にできなくても消化できたり共有できる誰かがいたら、もしかしたら彼はこうやって映画のモデルにならないで今もオーストラリアで暮らしていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

打ち上げ花火を何十発も上げては近隣から怒られて、ママからも注意されて花火を取り上げられ、憐れんだパパが花火を渡してくれて、また花火をして怒られる。誰からも愛されていない気がする。みんなが僕を”そういう目”で見る。

サーフボードを買っても海には入れなくて、思い切って海に入ったら海は僕を受け入れてくれなかった。社会からも海からも家族からも、僕ははじき出されたんだ。

はじき出された僕を受け入れてくれたのは銃だけだった。

僕はみんなみたいになりたかった。みんなと同じがよかった。

ママは、休日は出かけて女の子をナンパしてガールフレンドを家族に紹介する僕を望んでるんだ。ママ、僕は女の子に声をかける勇気はないよ。ママ、僕は女の子だけじゃなくて男の子とも上手く話せなくて”二トラム”って呼ばれてるんだ。ママはそんな僕のことが嫌いなんでしょ?

 

 

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上映中は彼の不安定さと、家族の苦悩と、取り返しのつかない事件へと向かう恐ろしさに息苦しくなった。彼は誰よりも自分自身に腹を立てていた。思い通りにならない毎日と”僕”を見られることに苦しんでいたし、両親が苦しんでいることに反発や奇行でしか返せない自分の容量の悪さに爆発しかけていた。

全ての出来事が、全ての登場人物がなるべくしてなったんだと言うように静かに着実に”その日”に進んでいくのが恐ろしくも心地よかった。

こういった家庭への支援が発達していたら…だとか、もっと周りの人が…だとかが浮かんできたけど、そんな感想はあまりにも傲慢だと思った。間違ってはいないし、本来そうであるべきだけど、でもどこか他人事に感じる。

支援をするのも人間であること、周りの人だって感情のある人間であること。こういう映画を観て綺麗ごとを並べるのも人間であること。同じ人間なのに、支援をする側にも周りの人になれるわけでもない映画を観ただけのわたしが支援者や被害にあって困っていたかもしれない周りの人たちの行動を非難するような感想をあげるのは傲慢だと思った。

異常に見えるかもしれないけど、母親は必死に我が子を守り愛していた。この作品を観て母親を非難するのは間違いだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

鏡にうつるもう一人の僕に優しくキスをしてサヨナラを。

僕にキスしてくれたのは、僕だけだった。”僕”をここに置いて行くよ。

 

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僕は、僕以外になりたかった。