mumu’s blog

映画で感情を乱しながらエッセイ書いています。

好きな人が優しかった

 

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中学1年生のときに転校生が来た。僕の地元は地方の山奥だった。クラスメイトも先輩もみんなだいたい知った顔でだいたいが田舎特有の家族ぐるみの付き合いをしている者同士だった。

そんな田舎の中学校に転校してきた男はいわゆる不良だった。前の学校でも、その前の学校でも何かをしでかして通えなくなったらしかった。田舎だからそんな噂はすぐに広まったし、誰が言い出したのかも分からなかったけど噂はどうやら本当のことらしかった。

その転校生は山川君といった。

山川君の家は母子家庭だった。お母さんは山川君を育てていなかった。もちろん制服を買い、学校に通わせ、人並みに部活をさせ、食べ物を与えてはくれていたから山川君は育ってはいたんだけど。山川君のうちは「家庭環境が悪い」っていうやつだった。同じ住所の同じ家に住んでいる母親という女を前に13歳の少年は、模範的に反発しぐれた不良少年だった。

洗濯をしてもらえない山川君は香水臭かった。香水の向こう側に野生の人間のにおいがした。それを隠すために香水をつける中学1年生の男を田舎者の僕は同級生として素直に受け入れた。田舎の中学校だったからクラス替えもなくて、だから当たり前に僕と山川君はずっと卒業するまで同じクラスだった。

月曜日、学校に行くと顔に傷をつくった山川君が「街で絡まれた」とか言ってくることがあったけど僕には関係のないことだったから深く聞かないことにした。また別の月曜日、山川君は学校に来なかった。火曜日になって登校してきた山川君は「ナイフで切られた」って制服のシャツを捲って腹を見せてきたことがあったけど、それも僕には関係のないことだった。電車で1時間かけて街へ行き、山川君がそこでどんな奴らとどんなことをしているかなんか分からなかったし、きっと山川君も僕にそのことを細かく知られたいなんて思っていなかったと思う。

僕が山川君と仲良くできたのは、山川君が笑うと嘘みたいに優しい顔になるからだった。あいつ、いい顔するんだよ。いい顔だったんだ、一緒に遊んで同じ野球部でふざけり女子の更衣室をのぞいたりして田舎の中学生らしいことをしてるときのあいつ。あいつもただの中学生の男子だった。

3年生のとき、山川君と体格のいい男子が教室で殴り合いの喧嘩をしたことあった。人が殴り合っているのを生で見るのはそれが初めてだった。どちらかがイスを投げて教室の窓ガラスが割れた。どっちが投げたかの判断ができないくらい僕は動揺したし、このままではどっちかが死んでしまうんじゃないかと思って咄嗟に喧嘩を止めに入った。顔面に一発くらいは喰らうかもしれないという覚悟で2人の間に入って2人の胸をはじき飛ばすように強く押した。「もうやめろよ」僕は恐怖のせいか妙に興奮して声が大きくなった。あれだけ暴れていた2人が僕には手を出さなかった。きつい言葉も浴びせてこなかった。山川君はそういうところがあった。根は情が深い良い奴だった。

 

山川君とは別々の高校へ進んだ。僕は高校を卒業して大学に進んで地元を出た。いつだったか、山川君は高校生のときに少年院に入っていたことを聞いた。田舎だからそういう話しはみんなに知れ渡っていた。もう僕は山川君にわざわざ会うことはないけど、山川君はどうやら僕たちが出会った僕の地元で力仕事をしながら家庭を持ち、子供を育てているらしい。子供を可愛がっているらしい。山川君はそういう大人になると、僕は思ってた。

 

 

そうやって思い出話しをしてくれた私の好きな人。好きな人が中学生の頃から人を見た目や噂で判断しない優しい人で嬉しかった。

好きな人が優しかった(PEACE!)ってモーニング娘。が脳内で歌って踊る。

 

 

正しいマスクの使い方

 

マスクで顔の半分、口元が隠れていることで煩わしさや気になる人の顔の全体像を把握できなくてもどかしさを覚える。それがコロナ禍における恋愛の障害のひとつなのかもしれない。

 

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好きだと認めたくはないけど、きっとこの気持ちを何かの単語であらわすと”好き”以外のなんでもないことは私が一番わかっていて、私が一番認めてはいけない気がして上手く誤魔化せもしないのに誤魔化すように笑って”好き”を散布する。

 

大人になるということは恋をするのが容易ではないということだと、容易ではない恋につまづきながらカップ焼きそばのソースが絡んでない白いところを割りばしでほぐしながら思った。

 

人には言えないあれやこれやが私の中に層をつくる。甘いあれや、甘くはないけど思い出の土台になるこれや。あれやこれや。あれやこれやでミルクレープができましたよって意味の分からないことを大真面目な顔であの人に報告して困らせてみたい。

 

 

 

自信のない女だから、きっとマスクがなかったら見つめあうこともできなかったろうなと思うのです。マスクをつけないころから出会っているあなたのマスクなしの顔を私はもうあまり思い出せません。マスクを外して面と向かう機会がないほどには私とあなたは後ろめたいことがない関係なんだと少し安心もするのです。

 

コンプライアンスだとかセクハラだとか。恋の邪魔をしてくれるもんだから、じれったい。じれったいったらない。

「可愛いって思っててもセクハラになるから言えない」

「それは私のことを可愛いって思ってるってこと?」

「それも言わない」

「思ってること言えないって地獄だね」

コンプライアンスだとかセクハラだとか、そんなものは恋の障害物競争をヒートアップさせるだけなんだよ。どうかいくぐって甘い一言を手に入れるか試行錯誤していつの間にか恋に落ちちゃうんだよ。恋は大きい落とし穴。あ、本気のセクハラおじさんはコンプライアンスなんて理解してないから独走状態でみんな引いちゃってる。気を付けましょう。

 

 

 

 

それでも、この世の中には好きになってはいけない人がいます。

恋のアクセルを踏んでしまうあれやこれやが起きると、アクセルべた踏みになることはこれまでの人生で十分すぎるほどに知っているから右足には常にブレーキを踏ませているはずでした。でも、人間ですから。たまに疲れて足を休ませる瞬間がありますし、たまにブレーキの効きが悪いことだってあります。

 

好きになってはいけない好きな人の姿を探してキョロキョロしながら歩く日も一週間のなかで5日くらいはあります。ありますとも、好きになったらダメなだけで好きにはかわりありませんから。誰にも言わないから私くらいは私の素直な気持ちに服従して好きを認めてはいけない人の姿を見つけて、声なんか届くはずもない距離からマスクの中で「好き」って小さな声で言うんです。

周りの人たちにも私が好きって言ったあと悔しくなってマスクの中で唇を噛みしめてることなんて気づかれないですから。

 

 

 

ずるい女だから、あなたが私の目を見て世間話をして笑っているときも実はマスクの中で息を吐くくらいのすごく小さな声で「好き」「好き」「好き」って言ったこともある。聞こえるなって、伝わるなって思いながらも心臓のリズムが狂って体中の血液の波が私を飲み込んで溺れさせようとしてるみたいでトリップしそうだった。

 

あの人もマスクの中で「好き」って言ってたらいいのにね。

 

 

 

これが私の正しいマスクの使い方。

 

 

 

映画 「わたしは最悪。」

 

わたしは最悪。

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どうやらアカデミー賞脚本賞 国際長編映画賞にノミネートされた映画らしい、どうやら20代後半~30代の女性に刺さるらしい、という少ない前情報だけでなるべく知識や情報や人の感想を入れずに観に行った。

 

 

 

 

 

アラサー女性の主人公 ユリヤは頭がよくて、ヘルシーなビジュアルで愛嬌もよくて天真爛漫で、自分の価値を理解しているように見えた。

医学部に入ったけど肉体を切り刻むのは趣味じゃなかった。興味があるのは人の一番内側。心理学を学ぶことに決めた私は家族や友人から「いい決断だ。勇気がある。」って褒められた。デートで行ったカフェの写真を見返していたら写真の才能に気が付いた。カメラマンになる。もちろんいいカメラを買った。学生ローンでね。

 

 

いい男と付き合いたい。となりにいたら絵になるような人がいい。

でも、見た目だけじゃダメ。尊敬できる人がいい。

私より凄い人と一緒にいるとなんだか惨めになる。私には誰も注目しなくなるから。彼とつり合うために努力するのは嫌いじゃなかったけど、本当の私でいたい。自分を見失いたくない。自然体でいれる人がいい。

浮気ってどこからなのか、そんなことを考えているときに浮気は始まってる。

楽しくて気取ってなくて、いつまでも恋人同士でいられる人。すごく居心地がいい。

でも、私は30歳を過ぎた。特別だった私は30っていう見えないけど確実に存在する濃い線をまたいで、立派な大人という"こっち側"に立っている。なんとなく不安になる。50歳になったとき、この人の隣で私は笑っていられるだろうか。

 

結婚はいつかする。私が結婚したいと思ったとき、したいと思える人に出会ったら。

男に頼って生きるのは嫌。私は私のやりたいことをして生きたい。今はまだそこに夫や子供がいるのを想像できないだけ。

私はまだ妻や母になるタイミングじゃないだけ。

 

 

 

多くの女性がぶち当たったことがありそうな問題が12章に分けられた作中にこれでもかって盛りすぎなくらいに盛られていた。

理解が追いつかないくらいに盛ってくれていた。

 

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私をその辺にいる女と一緒にしないで。私は特別なの。そうやって威勢よく自分を飾りつけしても一歩外に出たら誰にでも声をかけてるような男と目が合って、その辺の女と同じように声をかけられる普通の女でした。

そんなことを認めるわけにはいかなかった。認めたら私があまりにも可哀想だから、まだ”普通”から逃げていたい。

私はまだ好きな人の「おやすみ」と「おはよう」に挟まれて生きるだけにはなりたくない。

 

 

神様がみんなに平等に与えた「若い」っていう切り札を、若いころはそれを最大の切り札とも思わず消費期限ギリギリまで裏向きにして隅に放り投げている。

仕事なんていくらでもあるのに、やりたいことはいくらでもあるのに、私が出来ることは数えるほどしかない。「若い」を原動力にするには少し遅いみたいだ。

 

 

後ろめたいセックスはしないほうがいいってことを私たちは失敗から学んだ。

セックスの後に口移しで飲ませてもらう冷たい水が美味しくてあの頃は大好きだった。

ゲームセンターで取ってもらったぬいぐるみと、2人で撮ったプリクラはもう手元にない。

誕生日にもらった財布、物に罪はないからってしばらく使ってたけど飽きたから自分で新しいものに買い換えた。

最後に連絡をしたのはいつだったろう。最後に交わしたやりとりはなんだったろう。

感謝を伝えただろうか。あんたと付き合ってた時間は無駄だったと最後まで悪態をついただろうか。そんなことさえ忘れてしまったほどに、もう私はあの頃の私を水に流した。

 

 

愛するということは、人を好きでい続けることではなく嫌いになる隙がないことをいうんだと知る。

私に無いものを持っているあなたの持っていないものを私は持ちたい。そうやって補って補ってもらっていくうちに、しわくちゃの老人になれるなら、わたしは最高。

 

 

 

 

わたしは最悪。を観ているときにわたしの中に浮かんだ世界はこれだった。

 

ただ、鑑賞中の違和感や引っかかる部分を2日間じっくりと時間をかけて向き合った。作中で感じたハッキリとしているわけではない靄がかかった卑下されたような悔しさを拭いきれなかった。わたしの中に流れ続ける腹立たしさに似た悔しさの理由はなんなのかを探った。

 

 

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監督は30代女性のリアルを描きたかったのか?

そもそも、リアルを描いたのなら「わたしは最悪。」という題名は不釣り合いではないのか?

女性のリアルを詰め込んで「最悪」と語らせるのはあまりにも最悪ではないか。ひどいではないか。悔しい。

 

この作品を観て自分の経験や現状と重ねて痛い部分を突かれた女性や、女性の恋愛や仕事の恥部のように今まであまり公にはされなかった部分を映画から考えさせられ理解した気になった男性。または理解できないけど理解を示そうとする男性や女性。

それらを全て願ったり叶ったりだ と狙いに狙らって練られた脚本に感じた。

 

 

 

違和感を感じるほどに多い主人公が体を見せるシーン。

元恋人は女性軽視とも取れる漫画の作家。付き合っているときはそんなの気にもしてなかった。

元恋人と一緒に暮らす空間で METOO運動とオーラルセックス という記事を書いた主人公が、元恋人が過激なフェミニストから攻撃されるのを見て言葉も答えも見失ったようなシーン。

妊娠はしたくなかった主人公が「失敗したんだと思う」と望まない妊娠を告げるのは、子供を欲しがっていた元恋人。

妊娠を望んでいたわけではないけど、妊娠したことに対して「おめでとう」と確実に言ってくれる人を無意識に選んで優しさに浸ろうとしているように見えた。

癌になって自分の最期を悟る元恋人に「君はいい母親になる」と、昔は言われたくなかった言葉を言ってもらいたくなる主人公。

本当に子供が欲しかったの?と元恋人に聞いたら「分からない」と素直に答えてくれる。本当の気持ちは最後まで言えないっていうけど、自分の最期を前に素直になる元恋人と弱った元恋人を前に命の尊さに触れ、ほんの少しだけ自らの身に宿った新しい命への責任感と子供を産む選択肢ができたように見える主人公。

彼氏に妊娠を告げ、それでも子供を望まない彼氏に中絶の選択肢が躍り出る。

METOO運動を支持しているであろう主人公でも、恋に落ちる相手が同じだとは限らない。恋する相手は選べない。選んで恋に落ちることはできない。文字通り恋はするんじゃなくて落ちるのだ。この世で一番恐ろしい落とし穴は恋なんだ。

 

 

この随所に見られる皮肉とも感じられる部分が、本作に対するわたしの悔しさだった。

「わたしは最悪。」という題名も、生物学的にネガティブになりやすい女性が、他人から見たらそんなに最悪ではない人生を最悪だと嘆くことを皮肉ってつけられているとしたら…。

もし、監督が女性の身に起こる苦悩を盛り込むことでフェミニズムによって芸術まで否定されつつある今の社会を映画という芸術をつかって皮肉で斬ったのだとしたら、わたしはそれはすごいと思う。

 

ここまで勢いよく書いてしまったけど、皮肉っていて嫌だったという感想ではなく

わたしは最悪。を観て女性のリアルという部分で刺さらなかったわたしが、この映画を観たあと数日間ずっと考えてしまっていることはかなり高評価に値するのかもしれないと思い当たっている。

 

 

女なんて生き物は単純なようで難解で、奥底のプライドの高さで自分を苦しめながらも、それでもなんとか生き抜いてきた。世界にオスとメスが誕生したその瞬間から平等ではなかった地位と平等にはしてくれなかった社会の構図の中で女はなんとか生き抜いてきた。

やっと少しずつ社会が変わってきた今、「30代女性のリアルを描いた」と話題になる映画。男性の監督と脚本家が出し合った、彼らから見た女性の姿はこんなにもちぐはぐなのか。

 

そんなことを思いながらも、きっとわたしは「わたしは最悪。」を楽しんだ。

よくも女性の痛い部分をこんなに失礼なほどに描いてくれたな。

 

 

 

さぁ、明日は土曜日。

酒を飲んで記憶を飛ばしても、二日酔いで寝込んでも日曜日がある。今日は何をしてもいいことにしようよ。

 

 

生きてるだけで偉いって言ってごめん

 

 

生きてるだけで偉い。こんな言葉を聞くと

こんな地獄みたいなくそな世界で、居場所も頼る人も信頼できる人も私を必要とする人も大切にしてくれる人もなく、苦しんで悲しんで息もできないほど涙を流して鼻が詰まって耳も詰まって音が遠くなって浅くなる呼吸と酸素が足りなくなってぼんやりとする脳を抱えながら生きたくないって自分に呪いをかけるように過ごした1日だとしてもか?ってお前は言い返したくなるかもしれない。

お前のそれは「生きてるだけで偉い」にあてはまらない。ごめんなさい。生きるのって簡単じゃない、つらいよな。こんな世界で生きるってほんとに簡単じゃないよな。

 

 

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いろんなとこで、いろんな人が言う「生きてるだけで偉い」は

頑張れない日も、上手くいかない日も、失敗ばかりする日も、誰かを憎く思う自分が嫌になる日も、疲れてなにもできない日も、昼まで寝ちゃった日も、お腹が減ってないのに胃に食べ物を詰め込んだ日も、自分のことを責めなくていい。ダメなことじゃない。生きてたら挽回できるときがくる。良い時と悪い時を天秤にかける必要ない。誰かとお前を比べなくていいよ。お前は偉いよ。ってこと。

 

もし「生きてるだけで偉い」って言葉で傷ついたことがあるなら、この言葉を使っている人を代表して私が謝る。傷つけるつもりはなかったけど、この言葉でお前の存在や考えや状況を否定したように感じさせたなら本当にごめんなさい。

 

 

 

 

 

お前は人に嫌われるのがすごく怖くて人の顔色や息遣いにも敏感になって生活してるから疲れてる。

人に嫌われるのも人を傷つけるのも大嫌いだからいつも我慢してる。

人にどう思われてるか気にして、いつも完璧な自分でいることを意識してる。

でも、人は自分の見たいようにお前を見るんだよ。お前が実際にどういう人間かではなく、自分にとってお前がこういう人間であってほしいっていう欲をのせてお前を見てる。

だから、人の評価に合わせなくていい。人は好き勝手にお前を評価するから。

 

 

 

 

答えは求めないでほしい。答えなんかない。間違った生き方がないように正しい生き方もない。お前がお前を認めてお前を許せ。

早起きできなくていいよ。バランスのいい食事ができなくていい。あたたかいお風呂に浸かれなくていい。軽い運動やストレッチをする余裕がなくていい。高い化粧水を買えなくていい。家がぐちゃぐちゃでいい。趣味なんかなくていい。英語が話せなくていい。夢も希望もなくていい。年収が少なくて老後のために2000万貯められなくていい。自分へのご褒美って理由をつけて高い買い物をカードでしていい。支払いに追われていい。恋人がいなくていい。将来が不安でいい。何歳だっていい。何処に住んでたっていい。全部どうだっていい。

みんな何かを基準に人に点数をつけたいんだ。だから、幸せ指数をこんなどうでもいいことで測ろうとするんだ。

どんなお前でもいいよ。お前はそれでいいよ。

 

 

大丈夫。

 

 

 

もし、明日が迎えられそうならお前のためにどうかよく眠ってください。眠れない夜でも、眠ってしまったら最悪な明日を迎えそうで眠るのが怖くても、どんなに逃げようと朝はくるから。どうせなら少しでも長く眠ってください。

 

頑張るな、どうせ一生は頑張れないから。

 

おやすみ

 

 

 

 

青春だとか失恋だとか

 

爪が綺麗な人が好き。深爪でも、伸びすぎた爪でもなく、指を絡めて相手の指先が手の甲に当たった時に指の腹の感触の先にほんの少し、ほんの少しだけ爪の感覚を見つけられるくらいの。

あと、ささくれはないほうがいい。ささくれは嫌い。

私より賢い人が好き。私が知らないことを知っていてほしい。それを鼻にかけずさらっと優しく話して教えてくれる人にセクシーを感じる。

恥ずかしがらないで嫌がらないで、表情を変えず困っている人に手を差し伸べる人が好き。私もそうなりたい。憧れて、憧れがいつしか恋心になっていく。

 

 

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中学生の時に好きになった男の子の好きなところが今でも人を好きになる基準になっていることに気づいて恥ずかしいのに誇らしい。たった14歳。大人から見たらただの子供の恋だって笑って隅に追い払われてしまうような片想いは、大人の私に繋がって私を今でもドキドキさせる。

 

 

 

 

彼は中学入学のタイミングで引越してきた所謂"新顔"だった。入学式から数日経ってみんなが自分の収まる場所を見つけ始めてもいつも一人でいた。わたしはそういう人が気になって仕方がない。捨てられている子猫は放っておけない。お節介だったかもしれないけど、わたしから話しかけるようにしたら彼は想像以上にユーモアがあって想像以上に優しくて想像以上に賢かった。

 

 

中学生。思春期真っ只中でちょっとやんちゃな男の子は文化祭や体育祭を真剣にやるのはダサいと思ってるみたいだったけど、そりゃそうだ。きっと真剣にやるのが恥ずかしくて、恥ずかしい気持ちを隠して"ダサい"ことから逃げようとしていた。それはそれで子供らしくて可愛いと大人になった今なら微笑ましく思ってあげられる。

そんな"ダサい"ことを嫌がる風もなく、サラッとやってしまうのが彼だった。体育祭で男女ペアになって手を繋いで踊らされても恥ずかしそうにしない。なんなら練習の待機中や休憩中も手を繋いでいてくれる。「今日も暑いね」だとか言われて、上手に答えられなかったのは暑いのが太陽のせいなのか手を繋いでいるせいなのかわたしには分からなかったから。ただ、彼の指がすごく細くて爪が短くもなく長くもなく手の甲に当たる彼の指の腹が心地いいことは分かった。新鮮な感覚だった。

 

 

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3年生になって、初めてクラスが分かれた。

隣の教室から出てくるのを見つけるのが好きだった。話しかけたいわけではなかったけど、彼の姿を同級生たちが揉みくちゃになるように行き交う教室の前の廊下の中で見つけるのが好きだったし、彼の姿だけ額縁に納められたみたいに綺麗に浮いて見えた。

 

まだまだ子供で線の細い華奢な体に覆い被さるように引っ付いたブレザーの制服が、どれだけ愛おしかったか。

 

ダサくて着るのを恥ずかしいとすら思う学校の指定ジャージを着る彼の姿が、どれだけ眩しかったか。

 

面倒くさい顔もしないで、わたしに数学を教えてくれるあなたの態度が実はすごく格好良いと思ってた。"女子"と仲良くするなんて恥ずかしいはずの思春期の男の子には珍しいタイプだった。そんなあなたがすごくタイプだったんだと思う。

 

3年生の体育祭で、組みのリーダーになっていっぱいいっぱいだったわたしを気にして体育祭の本番まで帰り道は一緒に帰ってくれたこと。それはわたしに愚痴を言わせるための時間を作ってくれているんだと子供ながら気づいて優しさが熱くて胸の奥が燃えてしまう気がした。

たぶん、この感覚が初恋だった。

 

遠くからでも、人混みの中でも、好きな人のことは一瞬で見つけられる能力がわたしたちには備わっていることを人を好きになってから知りました。それに気づかせてもらえた14歳のわたしはすごく楽しかったし幸運でした。その相手があの人でわたしはすごく幸福でした。

 

 

好きだと気づいてしまえば、恋の駆け引きを知らないわたしは走り出すしかなかった。

理科の授業が終わった瞬間に理科室を飛び出して好きな人の教室を目がかけて走った。

好きな人を見つけるのは得意。好きな人はすぐ見つけられる。飛びつくように彼のそばまで行って手を彼の耳に寄せた。ヒソヒソ話しをされることに気づいた彼が腰を折る。耳が目の前に現れる。「好き」

 

 

 

「それでわたしたちは付き合いました。」なんてことは全くなく、好きって言って半月くらいは目を合わせるのすら恥ずかしくて逃げ回って挨拶もしなかった。逃げ続けるわたしは放課後に呼び出されて振られた。初恋と初失恋。甘酸っぱい。酸っぱすぎる。

「付き合ったら楽しいと思ったし、付き合おうって言おうと思ったけどやっぱり友達として好きだから付き合うのは違う。」ってちゃんと答えてくれた彼をわたしはしばらくずっと好きだった。ずっと考えて答えを出してくれた彼が可愛くて、やっぱり優しくて、恥ずかしくて逃げ回るわたしを気にしながらたまに話しかけに来てくれる彼はずるかった。夢にまで出てきて優しくしてくれるくらいで、あまりにも優しくてとろけたマシュマロみたいだと思った。でも、現実のほうがもっとずっと優しかったから本当にずるいやつだった。

 

 

 

 

 

 

 

成人式の前夜に中学校の同窓会が開かれた。

高校卒業と同時に地元を出ていたわたしの周りには中学生のときほど友達はいなかった。卒業しても定期的に会っていた地元の子達の空気とわたしが醸し出す空気は違っていて馴れ合えなかった。

「可愛くなったね」って声をかけてくれたのは彼で、それがよくある「昔俺の事を好きだった女に声をかける下心丸出しの男」ではなくて、中学生のとき仲良かった子が同窓会で退屈そうにしているから声をかけて笑顔にさせようって気持ちで勇気をだして話しかけてくれているのが分かって懐かしくて一気に中学生のあの頃に戻された。

 

 

「わたしのこと振ったのを後悔してほしい」

「ちょっと後悔してる」

 

 

 

 

 

一度しか経験できない初恋。初めての失恋。

わたしの初恋がこれでよかった。

悲しかったけど、彼がわたしの初めての失恋でよかった。

 

 

 

私たちが失恋して立ち上がれないほど落ち込んでも、また一歩前に進める原動力は「今に見てろ」なんだろう。