mumu’s blog

映画で感情を乱しながらエッセイ書いています。

映画 「わたしは最悪。」

 

わたしは最悪。

f:id:mumu_fuwa:20220708011850j:image

どうやらアカデミー賞脚本賞 国際長編映画賞にノミネートされた映画らしい、どうやら20代後半~30代の女性に刺さるらしい、という少ない前情報だけでなるべく知識や情報や人の感想を入れずに観に行った。

 

 

 

 

 

アラサー女性の主人公 ユリヤは頭がよくて、ヘルシーなビジュアルで愛嬌もよくて天真爛漫で、自分の価値を理解しているように見えた。

医学部に入ったけど肉体を切り刻むのは趣味じゃなかった。興味があるのは人の一番内側。心理学を学ぶことに決めた私は家族や友人から「いい決断だ。勇気がある。」って褒められた。デートで行ったカフェの写真を見返していたら写真の才能に気が付いた。カメラマンになる。もちろんいいカメラを買った。学生ローンでね。

 

 

いい男と付き合いたい。となりにいたら絵になるような人がいい。

でも、見た目だけじゃダメ。尊敬できる人がいい。

私より凄い人と一緒にいるとなんだか惨めになる。私には誰も注目しなくなるから。彼とつり合うために努力するのは嫌いじゃなかったけど、本当の私でいたい。自分を見失いたくない。自然体でいれる人がいい。

浮気ってどこからなのか、そんなことを考えているときに浮気は始まってる。

楽しくて気取ってなくて、いつまでも恋人同士でいられる人。すごく居心地がいい。

でも、私は30歳を過ぎた。特別だった私は30っていう見えないけど確実に存在する濃い線をまたいで、立派な大人という"こっち側"に立っている。なんとなく不安になる。50歳になったとき、この人の隣で私は笑っていられるだろうか。

 

結婚はいつかする。私が結婚したいと思ったとき、したいと思える人に出会ったら。

男に頼って生きるのは嫌。私は私のやりたいことをして生きたい。今はまだそこに夫や子供がいるのを想像できないだけ。

私はまだ妻や母になるタイミングじゃないだけ。

 

 

 

多くの女性がぶち当たったことがありそうな問題が12章に分けられた作中にこれでもかって盛りすぎなくらいに盛られていた。

理解が追いつかないくらいに盛ってくれていた。

 

f:id:mumu_fuwa:20220708012002j:image

 

 

 

 

 

 

私をその辺にいる女と一緒にしないで。私は特別なの。そうやって威勢よく自分を飾りつけしても一歩外に出たら誰にでも声をかけてるような男と目が合って、その辺の女と同じように声をかけられる普通の女でした。

そんなことを認めるわけにはいかなかった。認めたら私があまりにも可哀想だから、まだ”普通”から逃げていたい。

私はまだ好きな人の「おやすみ」と「おはよう」に挟まれて生きるだけにはなりたくない。

 

 

神様がみんなに平等に与えた「若い」っていう切り札を、若いころはそれを最大の切り札とも思わず消費期限ギリギリまで裏向きにして隅に放り投げている。

仕事なんていくらでもあるのに、やりたいことはいくらでもあるのに、私が出来ることは数えるほどしかない。「若い」を原動力にするには少し遅いみたいだ。

 

 

後ろめたいセックスはしないほうがいいってことを私たちは失敗から学んだ。

セックスの後に口移しで飲ませてもらう冷たい水が美味しくてあの頃は大好きだった。

ゲームセンターで取ってもらったぬいぐるみと、2人で撮ったプリクラはもう手元にない。

誕生日にもらった財布、物に罪はないからってしばらく使ってたけど飽きたから自分で新しいものに買い換えた。

最後に連絡をしたのはいつだったろう。最後に交わしたやりとりはなんだったろう。

感謝を伝えただろうか。あんたと付き合ってた時間は無駄だったと最後まで悪態をついただろうか。そんなことさえ忘れてしまったほどに、もう私はあの頃の私を水に流した。

 

 

愛するということは、人を好きでい続けることではなく嫌いになる隙がないことをいうんだと知る。

私に無いものを持っているあなたの持っていないものを私は持ちたい。そうやって補って補ってもらっていくうちに、しわくちゃの老人になれるなら、わたしは最高。

 

 

 

 

わたしは最悪。を観ているときにわたしの中に浮かんだ世界はこれだった。

 

ただ、鑑賞中の違和感や引っかかる部分を2日間じっくりと時間をかけて向き合った。作中で感じたハッキリとしているわけではない靄がかかった卑下されたような悔しさを拭いきれなかった。わたしの中に流れ続ける腹立たしさに似た悔しさの理由はなんなのかを探った。

 

 

f:id:mumu_fuwa:20220708211432j:image

 

 

監督は30代女性のリアルを描きたかったのか?

そもそも、リアルを描いたのなら「わたしは最悪。」という題名は不釣り合いではないのか?

女性のリアルを詰め込んで「最悪」と語らせるのはあまりにも最悪ではないか。ひどいではないか。悔しい。

 

この作品を観て自分の経験や現状と重ねて痛い部分を突かれた女性や、女性の恋愛や仕事の恥部のように今まであまり公にはされなかった部分を映画から考えさせられ理解した気になった男性。または理解できないけど理解を示そうとする男性や女性。

それらを全て願ったり叶ったりだ と狙いに狙らって練られた脚本に感じた。

 

 

 

違和感を感じるほどに多い主人公が体を見せるシーン。

元恋人は女性軽視とも取れる漫画の作家。付き合っているときはそんなの気にもしてなかった。

元恋人と一緒に暮らす空間で METOO運動とオーラルセックス という記事を書いた主人公が、元恋人が過激なフェミニストから攻撃されるのを見て言葉も答えも見失ったようなシーン。

妊娠はしたくなかった主人公が「失敗したんだと思う」と望まない妊娠を告げるのは、子供を欲しがっていた元恋人。

妊娠を望んでいたわけではないけど、妊娠したことに対して「おめでとう」と確実に言ってくれる人を無意識に選んで優しさに浸ろうとしているように見えた。

癌になって自分の最期を悟る元恋人に「君はいい母親になる」と、昔は言われたくなかった言葉を言ってもらいたくなる主人公。

本当に子供が欲しかったの?と元恋人に聞いたら「分からない」と素直に答えてくれる。本当の気持ちは最後まで言えないっていうけど、自分の最期を前に素直になる元恋人と弱った元恋人を前に命の尊さに触れ、ほんの少しだけ自らの身に宿った新しい命への責任感と子供を産む選択肢ができたように見える主人公。

彼氏に妊娠を告げ、それでも子供を望まない彼氏に中絶の選択肢が躍り出る。

METOO運動を支持しているであろう主人公でも、恋に落ちる相手が同じだとは限らない。恋する相手は選べない。選んで恋に落ちることはできない。文字通り恋はするんじゃなくて落ちるのだ。この世で一番恐ろしい落とし穴は恋なんだ。

 

 

この随所に見られる皮肉とも感じられる部分が、本作に対するわたしの悔しさだった。

「わたしは最悪。」という題名も、生物学的にネガティブになりやすい女性が、他人から見たらそんなに最悪ではない人生を最悪だと嘆くことを皮肉ってつけられているとしたら…。

もし、監督が女性の身に起こる苦悩を盛り込むことでフェミニズムによって芸術まで否定されつつある今の社会を映画という芸術をつかって皮肉で斬ったのだとしたら、わたしはそれはすごいと思う。

 

ここまで勢いよく書いてしまったけど、皮肉っていて嫌だったという感想ではなく

わたしは最悪。を観て女性のリアルという部分で刺さらなかったわたしが、この映画を観たあと数日間ずっと考えてしまっていることはかなり高評価に値するのかもしれないと思い当たっている。

 

 

女なんて生き物は単純なようで難解で、奥底のプライドの高さで自分を苦しめながらも、それでもなんとか生き抜いてきた。世界にオスとメスが誕生したその瞬間から平等ではなかった地位と平等にはしてくれなかった社会の構図の中で女はなんとか生き抜いてきた。

やっと少しずつ社会が変わってきた今、「30代女性のリアルを描いた」と話題になる映画。男性の監督と脚本家が出し合った、彼らから見た女性の姿はこんなにもちぐはぐなのか。

 

そんなことを思いながらも、きっとわたしは「わたしは最悪。」を楽しんだ。

よくも女性の痛い部分をこんなに失礼なほどに描いてくれたな。

 

 

 

さぁ、明日は土曜日。

酒を飲んで記憶を飛ばしても、二日酔いで寝込んでも日曜日がある。今日は何をしてもいいことにしようよ。