mumu’s blog

映画で感情を乱しながらエッセイ書いています。

最後の決闘裁判 感想(ネタバレ有り)

 

1386年フランス(ノルマンディー)で起きた強姦事件と決闘裁判。約600年前の史実映画。

 

本作は、騎士のジャン・ド・カルージュとその妻マルグリット、ジャンの友人ジャック・ル・グリの3人の視点で展開していく。

 

 

 

騎士ジャンを演じたマット・デイモンと、本作にも出演しているベン・アフレックの2人が脚本を担当。グッド・ウィル・ハンティング以来の共同脚本に期待した人も多いと思う。そして、期待を優に超えていった。期待を超えたと表現していいか分からないけど、確実に本作に心を動かされた。これに関しては本当に天才すぎて言葉が出ない。

 

 

 

 

強姦事件を巡り食い違う3人の視点を追うストーリーと聞いて、覚悟はしていた。

甘かった。覚悟していた感情とは別の感情で体が固まるのを感じた。

「わたしはこの作品に何を期待していたのか」と途中で自問自答する瞬間があった。泣いてしまうだろうと思っていた自分をビンタしたい。本作「最後の決闘裁判」は史実。ただの映画・物語ではなく、記録がスクリーンに映し出されていて、怒りや悲しみで泣く余裕はわたしにはなかった。

 

 

夫ジャンと友人ル・グリの視点は、正直大きな違いはなかった。もちろん、マルグリットに対してやジャンとル・グリのお互いへの思いなどはそれぞれの視点から見ると大きく違った。

わたしが、この男性2人に差はなかったと思ったのはマルグリットを含む女性に対しての意識。特に、ジャン視点のとき。マルグリットを「愛する人」などと呼んで妻を大切に愛しているように見えたが、ジャンとマルグリットが体を重ねるシーンではマルグリットの表情が映ることがなかった。

マルグリット視点になると、ジャンと体を重ねるシーンで顔を歪める彼女に気づいた。確かに、本人にしか分からないことではあるけれど、もし本当にこの夫婦が愛し愛され相思相愛の夫婦であれば、ジャン視点でもマルグリットの表情がもっと映し出されていたんじゃないかと思う。

 

 

この時代背景で、マルグリット本人が強姦されたと告白して裁判を起こす勇気と涙以外にどんな証拠が必要だったんだろう?と考えてしまう。

考えてしまうけど、きっと強姦事件を公にする女性を黙らせる周囲の圧力と理解のなさの前では全てが非力すぎる。

自宅でこの答えにたどり着いたとき、想像してもしきれない恐怖と自身の恐怖心を抑え、勇気を振り絞って行動したマルグリットに対して涙が出た。

 

 

 

600年以上前の1300年代に起きた事件が、2021年の現代で起きている事件と同じだということに絶望を感じる。そして、モデルとなったマルグリットに申し訳なさを覚えた。

私たちは、どれだけ同じことを繰り返せばいいのだろう?どれだけの人数が同じように涙を流せば世界が変わるんだろう?このような作品が出る度に女性の地位や問題を謳い文句にされ、同じような感想がネットに広がっていく。もちろん、わたしのこの感想も含め。

いつか、本作のようなストーリーは歴史の一部として観れるようになりたい。サムライが刀を持って斬り合う作品を「昔って腰に刀をさして歩いてたんだな」なんて呑気に思う今のわたしのように、体を強いられる事件は起こるわけがない未来で女性が強いられていたことを「昔の女性は…」と思われるようにぜったいになってほしい。そんな世の中にしないといけない。

 

 

 

 

 

 

 

マルグリット。

600年以上が経った世界でも、強姦事件はなくなっていません。

あなたが生きた時代にあなたが戦った問題は、この先もきっとなくすことは困難です。

でも、あなたの勇気は600年以上が経ったこの世界に語り継がれました。 あなたがモデルとなった最後の決闘裁判という映画のおかげで世界が大きく変わることはないかもしれないけど、あなたの勇気を目の当たりにしたわたしたちの意識は確実に変わりつつあります。

 

 

 

 

 

 

 

かなり偏った感想です。見当違いだと思われる部分もあるかと思います。

また時間が経ったら感想が変わるかもしれないけど、観終わったときにわたしが感じたことの全てがこれでした。大目に見てください🙇‍♀️