踏切の遮断機の前。開かないでいい、ずっと。耳を塞ぎたくなるはずの警報音が今日は響いてこない。遠くで聞こえているような、聞こえてさえいないような。蛍を呼ぶ童謡のそれにも聞こえる。「おいで」と言われているような気がした。行こう。
女性が生きやすい世界とはどんなものをいうのでしょう。
「すべてを捨ててあなたについていく。」は女性のセリフであることが多いから、どこまでも虚しい。
女性とはどうあるべきなのでしょう。
いつもにこにこ静かに笑っているのが理想的な女性ですか。
なにを言われても笑って受け答えして場の雰囲気を壊さないのが理想的な女性ですか。
もしそうであるなら、そんな女性たちが身近にいるのなら、その彼女たちを育てたのはあなたの住むこの世界かもしれません。そうあるべきだと押し付けたのかもしれません。
そして、本当の彼女を知らないだけかもしれません。
卑屈なほどの背景を背にして、私達は女性という額縁に綺麗にはまる。
そんな女性像に綺麗にはまって完璧に女性をやり通す人。なにを言われても上手に切り抜ける彼女は、なにを言ってもいい人ではありません。
マスクの中で唇を嚙みしめるような言葉を投げつけられても笑ってその場を乗り切るのは、この世界で生きるため。ひとり涙を流すのは自分のため。
唯一。彼女が彼女のために、彼女の負った心の窪みに涙を落としていく。へこんでしまった部分を涙で補い、自らの涙で誤魔化し騙す。たまった涙に溺れていく。そうやって生きていくことを選ぶしかなかった。
こうやって女性になった私、散々泣いてスッキリした顔を鏡越しに私自身に見せてあげる私。
こんな私がいることを誰も知らないからこんな私を知っておいてよ、私。
きっと私が事件や事故に巻き込まれて消えてしまったら、「明るくていい子」だったと同僚たちは涙を流すのよ。私はいい子を演じたから、いい子でいれた。私はいい子で、それは「どうでもいい子」でもあるのよ、私。
ありのままでいいのだと、綺麗なお姫様が踊りながら歌っていた。
ありのままの私を見失った私が真剣に聴いていた。ありのままで生きている人を知らないからよく分からなかった。私はどこに消えてしまったのでしょう。
それでも、どうなっても、どこまでいっても、私は私だと、私を信じ続けた私を許してね、私。毎夜、その日に感じたことを胸いっぱいに持ち帰った。女性である前に私は私だった。
限界なんて見えませんから。限界なんて見せませんから。きっと突然プツンと切れてしまったように、電話が切れた後のあの機械音が流れ出す瞬間みたいに、限界なんて前触れもなく私を迎えに来てしまうでしょう。
言い残したいことはたくさんあります。言いたいことはいつも我慢していましたから。いつも言葉を飲み込んで言葉が喉に詰まって息苦しいほどでした。
傷つけたつもりはなかったあなたが、驚き苦しむ姿を見届けたいけれど。
またきっといつか会えます。
そんな風になるまで追い込まれませんようにと、今日もわたしはわたしで機嫌をとってから帰ろうと思う。
今、家に帰りついたら泣いてしまいそうで。弱さに溺れるのを避けるように。
女性という理由で我慢しなければならないことが減っていけばいいな。
傷を舐めあうことを笑う人がいようと、わたしは舐めることができる傷なら舐めたい。それで少し救われるなら。
踏切の遮断機が上がる。一歩踏み込む。
さあ、帰ろう。