mumu’s blog

映画で感情を乱しながらエッセイ書いています。

自分が分からなくなるとき

 

あなたが教室にいるとほかの子たちがみんな向日葵になる。

あなたが太陽でみんなは向日葵。

 

そんな風に小学生のとき先生に言われたっけ。

 

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花に例えるならあなたはダリアね。

ぱぁっと周りを明るくしてくれる。

 

そんな風に中学生の頃に通っていた塾長に言われたっけ。

 

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わたしのことは、わたしよりみんなのほうが詳しいのかもしれません。わたしはイマイチ自分のことが分からないのです。偽りすぎたのかもしれません。当たり前のようにその場の雰囲気に合わせて自分を変えながら過ごしてきたせいかもしれません。

きっと、わたしだけではないはずです。きっと、ほとんどの人が自分のことなんて分かっていないはずです。自分のことが分からないのか、自分がどのように見られているか分かっていないのかは、似ているけど大きく違うことだということもイマイチ分からない人が多いのだと思います。きっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日もなにもなかったような顔をして帰ってきて、独りそっとため息をつく。 

私が私を演じるようになって素直に気持ちを伝えられなくなって。ありがとうもごめんなさいも素直な気持ちじゃなく、その場の雰囲気を守るための合言葉のようになって。人の顔色と自分の見た目には敏感で貪欲で、たまに流れる涙はいつも悔しさと悲しさからで。こんな人間は腐るほど存在していて、きっとみんな一人のときはこんな感じなのだろうと考えては安心して。でも、本当はみんなと一緒なんて嫌だった。私は特別がよかった。

 

 

 

悩み事は尽きない。そなことで と笑って流されるようなことでも、私の中では人生の岐路に立っているように感じるほど大きなことだった。いつも何かに悩んでいた。悩んでいないときはなかったのに、3年前の悩み事なんて一つも思い出せなかった。「3年後も同じことで悩んでいたら一緒に悩んでやるよ」と私を元気づける風でもなく軽口をたたくように言った人のことを思い出す。あなたは正しかったかもしれないけど、3年後ではなくあのとき悩んでいるふりでもいいから私の隣で一緒に答えの出ない悩みに頭を抱えてほしかった。たぶんそれだけで私は十分だった。

 

 

 

私の魂と私の肉体が一致していないように感じるので気持ちが悪いのでした。私自身がなんとなくちぐはぐな気がして落ち着かなくなることがあるのでした。電気の消えた暗い部屋で眠りに溺れるその瞬間に魂だけがふわりと浮いて、独りでいる私の肉体を見ている気がするときがあるのでした。朝起きて鏡に映る私を見て「だれ?」と問いかけてしまうこともあるのでした。これはもしかすると、とても正常なことなのかもしれないと思ってしまうことが異常だと自覚しているのでいした。

 

 

 

 

 

そうやっていくつもの夜をこえてきた。何回も朝になり夜になる一日を過ごしてみても自分自身が見えてこなくて、もうなにを見失っているのかも忘れるほどで。たまに、死後は魂だけがまた新たな命とつながり、今のわたしとは違う人生をこの魂が生きていくのかもしれないとぼんやりと考える。その感覚が恐ろしくて寂しくてたまらないことがある。

今の人生を終えてないのに、次の新しい人生を考えると内臓が凍るような恐ろしさを感じる。

 

 

実家に帰ってきて小学生の頃から高校生まで毎日使っていたセミダブルのベッドに横になりながら、またこんなことを考えてブログを開いて文字にしている。

一人暮らしの部屋に置いているシングルベッドより広いこのベッドは買ってもらったときはとても広く感じた。寝転ぶと自分がすごく小さく感じるくらいだった。今思うとこのベッドの広さも、寝返りをうっても落ちないように という親の小さな優しさなんだと気づいて溢れる気持ちが頬をつたう。

 

 

何十年生きても自分がよく分からないけど、それでも内側にあるこの感覚を作りだす魂を裏切らないようになるべく自分を持って正しく生きようとしている自分のことは誇りたい。

 

 

 

そんなぼやっとしたことを実家という、わたしの聖地で思うのでした。