mumu’s blog

映画で感情を乱しながらエッセイ書いています。

人生を選ぶとき

今週のお題「最近あったちょっといいこと」

 

 

 

 

18歳。

親元を離れて一人暮らしを始め、少し大人になった気がしている子供だった。

 

なにもかも、なにもかもが不完全だった。

一人分の食材はどのくらいの量なのか、キノコはどうなったら腐ったサインなのか、どのくらい溜まれば洗濯を回すべきなのか、隣の部屋に迷惑がかかる声のボリュームは、冷暖房を使うとどれくらい電気代が増えるのか。なにも知らないただの子供だった。

 

 

洗濯機が壊れたみたいだと助けを求めて、夜でも駆けつけてくれたのは一人暮らしをする友人。

真夏に40℃の熱が出て動けないと助けを求めて、アイスやドリンクを買い込んで汗だくで駆けつけてくれたのも一人暮らしをする友人。

恋人に傷つけられと泣くわたしの背中をさすって励ましてくれたのも、同じく一人暮らしをする友人たち。

大きな地震が起きた夜、独りで家にいるのが怖いと小さな部屋に集まったのは一人暮らしをしている友人ばかりだった。

 

なにもできない子供同士でわたしたちは必死に生き延びた。分からないことばかりなのに、あの日々は確かに楽しかった。

不安だらけなのに楽しくて、なにも分からないのにやるしかなくて、友人に囲まれて安心して眠る日々。それはまるでサバイバルだった。

 

 

 

あれだけ毎日一緒にいた友人たちも、就職したら会うことはなくなる。

悲しんでいる暇さえなく、たまにフラッシュバックを起こしたかのように懐かしく思うことはあっても連絡するところまで辿り着かずに思い出はまた遠くに消えていく。

 

 

 

それでも久しぶりに会うと、サバイバルを共に生き抜いた友はやっぱり特別だと思う。

友人という肩書きを付けられた姉妹のようで、彼女がわたしの人生を作った思い出に沈ませる導火線であるならわたしはたまに沈んでしまってもいいとさえ思える。

 

わたしが生きていることを知っていてほしい。それは言い換えると、わたしが失われたときは知ってほしいということ。

SNSで生存確認をするような時代に、SNSでは繋がっていない彼女たちにどうそのことを知ってもらうかなんて分からないけれど。今わたしが思うわたしの我儘は「生きていることを知っていてほしい」という力が抜けるような弱い気持ちを声にしたような願い。

 

 

 

 

もう、今後あの頃のように四六時中一緒にいて暇つぶしのようにお互いの人生に関わって全てを共有していた関係には戻れないし戻りたいとは望まないのだけど、会えない時間は物理的な時間と距離しか生まず会ってしまえば説明のつかない距離感を生むことができるわたしたちを命ある限り続けていければいいと思います。願っています。

一緒にいられないからこそ、いつまでも一緒にいられる。それができるのが友情や友達などと名前をつけられた説明のつかない関係を呼ぶのだとしたら、わたしはそれらを大切にしたい。

 

 

 

 

そう思える友と、昨日と今日の時間を過ごして過去に沈められながら泣いてしまっているのにすごく幸せで笑ってしまう。

「最近あったちょっといいこと」というお題に寄りかかって、力を借りてブログに残すことにした。

 

 

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