mumu’s blog

映画で感情を乱しながらエッセイ書いています。

泣き止まない子供、無視する親(HSC・HSP)

 

わたしはHSCでした。

わたしはHSPです。

 

 

 

 

 

わたしは元々Twitterをメインに文章を投稿したり、趣味の映画アカウントで交流をしたりしていた。

今後もTwitterを辞めることはほぼないんじゃないかなと思う。趣味が突然嫌いになることはもちろんないだろうし。わたしが文章を書くのを辞めてしまうことも、今のところ不可能な気がするし。

 

 

Twitterは140字。わざわざ誰かのページを開いてわざわざ投稿文を読みに行かなくても全文が表示されタイムラインにずらりとたくさんの意見が行列を作る。

 

わたしに向けられた文章でなくとも、読んでしまえばわたしに向けられた言葉に感じることも多い。タイムラインを追う度に傷ついて、その度にわたしがわたしを励まし続ける。

 

 

 

 

 

「2〜3歳の子供が泣き止まないのに親は子供を泣き止ませようとしていなかった」

なんてことない日常のワンシーン。なんてことのないツイート。誰かを傷つけようなんてこれっぽっちも含んでいない文章。そうやって流して読める人が大半なのかもしれない。かもしれないじゃなくて、大半がそうなんです。赤ちゃんとは言えない幼い子供が大きな声で泣く姿を可愛いねと微笑むことができるほど大人は余裕がないのかもしれないです。それももちろん分かります。

大きな声で泣く子供を止めるほど余裕がない親なのかもしれないことを少しだけ、聞いて欲しいです。

 

 

 

 

 

わたしはHSCでした。

ネットがみんなの生活に馴染んで、SNSで手軽にいろんな情報を得ることができる世界。HSPという繊細な人がいること、HSPは病気ではなくほんの少しそうでない人より繊細なだけだということ。この子供(children)をHSCと呼ぶことも合わせて知ってほしい。

 

 

「新生児はよく寝る」が当てはまらなかった新生児期。

母の腕の中でしか眠らないわたしをずっと抱っこし続けた母。父に抱かれても癇癪を起したように泣くわたし。幼稚園に通うようになると、玄関で母の手を離さず行きたくないと泣き続けた。3年間わたしは泣き続けた。泣くだけならいい。わたしは先生の目を盗んで脱走して家に帰ろうとした、裸足で。もちろんこれも3年間欠かすことなく。相手は子供の扱いに慣れた保育士さん。わたしの扱いにも慣れて、わたしが逃げてしまわないように全力で羽交い絞めにしてくれた。わたしが脱走を諦めて母のもとに帰りたいと泣き叫ぶことに疲れるまでずっと。可愛がりだ。(本来の意味の可愛がり)

 

そして、わたしは幼稚園のお昼寝の時間一度も眠ることはなかった。

慣れない床に敷かれた慣れない簡易的な布団。みんなが寝始めると、聞き慣れない人数の寝息の合唱。わたしは、眠ることができなかった。

この頃のわたしの服へのこだわりも相当なものだった。気に入った素材の服しか着ない。気に入った袖のしまり具合でないと着れない。幼稚園のスモックは最悪で見るだけで涙が溢れた。極めつけに当時のわたしはキティちゃんの赤い長靴しか履かなかった。晴れた日も。

 

 

そんな子供を母は365日見守らないといけないわけで。そんな子供を投げ出すことなく向き合わないといけないわけで。母も相当にしんどかったろうと思う。なにせ相手は言葉を覚えたばかりの子供なわけで。上手く伝えられないことは全て涙に任せるわけで。いつも何かしらで泣きわめく我が子をきっと恐ろしいと思ったろうなと今なら想像できる。実際、HSCの親御さんが心療内科を受診するというのをよく見聞きする。

 

泣き止まない子を見て、「親のしつけが…」「親が子供の面倒を…」「わがままに育てて…」と言いたくなるのも分かる。そう思うのがまだまだ一般的なのかもしれない。その目線を受け続ける親御さんたちの心は誰が癒してあげるのか。もちろん、全てがこれに当てはまるわけではないけれど。逆に言うと全てが育児のせいにされるべきではないと思い、少し胸の奥がざらついてしまう。

 

 

 

言い返すことのできない視線を浴びては一人悩む親御さん、生きにくいなってなんとなくもやもやしながら生活している誰かに届きますように。

努力していることも、悩んでいることも、もうしんどくて逃げてしまいたくなるときがあることも。気づいてくれる人がいます。あなたの心や姿を見てくれる人がいます。共感してくれる人が必ずいます。

 

明日が少し楽に過ごせますように。