なんとなく眠れない夜。なんとなく開いたTwitter。
Twitterは眠れない夜を過ごしているのは私だけではないことを教えてくれた。眠れない夜に誰にも言えないような気持ちを「つぶやき」として全世界に向けて発信するツイート。それは、こんな気持ちになるのは私だけではないとどこかの誰かに教え安心させる。
ツイートは星みたいだと思う。見上げると気持ち悪いほど夜空を埋め尽くす星が輝いていてくれるからこそ夜を綺麗だと思えること、星はそんな風に思われたくて輝いているわけではないこと。それ全部がツイートみたいで、ツイートが星みたいで。
懐かしい人から届くDM
私が眠れずくすぶっていることに気づいてくれたのかと思った。同じ日、同じ時間に意味もなく起きているふたりに勝手に運命を感じて私にメッセージを送ってきてくれたことにときめいて。思わず今でも好きだとか言って深夜の寂しさを盛り上げてみる。メッセージを送りあいながら意味深な言葉を並べてツイートボタンを押して、禁忌を犯している気になって興奮して、今日この時間に溺れてしまえと強めの酒をグラスに注いだ。
「好き」と「嫌い」は同じ意味だった。
好きだと言えるけど実らない関係にうずうずする。好きな気持ちを利用するでもなく受け流されていく関係にイラつく。好きだと言って「知ってる」と返される関係に甘える。どうせなら都合よく扱ってくれたほうが泣けるのに中途半端に優しくされるから「嫌い」だとか言ってみたのは、やっぱり好きだから。好きと嫌いをバランスよく並べてじゃれあって最高に気持ちがよくて最悪だった。
運命なんてものは、そうでありたいと願う関係に後付けで名前をつけるもの。
運命は一つでなくていい。結ばれるものだけが運命じゃなくていい。結ばれないこともまた運命でないと納得がいかない。
私にはこの人に出会うために生まれてきたと思う人がいる。それは宿命で運命というより、天命で。その人とは共依存のような、どこかをつっつくと崩れてしまいそうな危ういバランスで繋がった関係に見えて、でもどんなに力いっぱい押しても崩れない関係。私にとってはむかつくくらいに完璧な相手。そして愛を育めない相手。悔しいくらいに。殺してしまいたいくらいに。
そんなことは誰にも話せず、口外せず過ごさなければと思いつつTwitterでぶちまけてしまったりだとか。ぶちまけた言葉の意味に気づいて私に「お前のこと大切すぎて無理なんだよ」なんて連絡をよこしてくるあんたが可哀想だと思ったりだとかする。
私にとってTwitterってそんな場所だった。
すごくまともなふりして、明るいこと言ってみたり、どこの誰だか分からない人と言葉を交わしたり、でも私にとってツイートなんてあんたへの遠回しのアピールで「私のこと見てよ」って意味ですごくマゾスティックでサディスティックだった。