mumu’s blog

映画で感情を乱しながらエッセイ書いています。

マッツ・ミケルセンの孤独


今日も孤独を感じる。

日本は面積に対して人口が多い。人だらけの国に暮らしていても、人は孤独を感じて人を求める。きっと人は孤独ではない時間を知っているからこそ孤独を感じられる。それは会いたいと思う人がいるから寂しさを感じられるように、ある意味ですごく幸せな感覚なのではないかと思う。

 

 

 

 

マッツ・ミケルセン主演の「残された者-北の極地-」を観て絶望と孤独と死と生の極地を見た。

 

 

 

誰かが話す、誰かが笑う。スマートフォンから突然流れ出す音。次の駅を知らせるアナウンス。電車のドアから一斉に吐き出された人達の足音はきっと耳を塞ぎたくなるほどの大音量。道を歩けば車の音、誰かを急かすクラクション。一人になりたいと思う。

 

生きるために働いているのか、働くために生きているのか。正義感と責任感が今日も誰かの肩にのしかかって両腕を引っ張って職場に向かわせる。当たり障りのない会話、沈黙の気まずさを和らげるためのその場しのぎに用意された誰かの失敗や欠点。家に帰りたい。

 

 

通い慣れた家と職場とを繋ぐ道。日が落ちた暗い帰り道は本当に暗いのか自分の気持ちが道を暗くしてしまっているのか、見たくない世界を見ないで済むように夜は暗くなってくれているのだとしたら世界は思っているより優しいのかもしれない。視線を落として、ついでのように涙を落として顔をぐちゃぐちゃにしても夜はそれさえも暗く隠してくれるから私たちは世界を心底嫌いにはなれない。

 

 

寂しそうに野良猫が鳴く。求めるように鳴く。求めるのに怯えているような声が歩くスピードを落とさせる。近寄って撫でようと手を伸ばすと求めてなかったかのように、まるでそれがこちらの独りよがりのお節介であったかのように振り返りもせず逃げていく野良猫の後ろ姿に「わたしも同じだよ」と泣き返す。

 

 

 

この狂気にも似た孤独を生み出したのは私自身で、孤独を教えてくれた愛おしかった人達の愛情が今もまだ、きっとこれから先もずっと私を見つめ続ける。

孤独を生むのが例え美化された過去だとしても、「あのとき」と振り返りたまに涙を流す理由になるものがある私たちの人生は幸福なのかもしれない。

 

 

 

 

孤独を愛せ だなんてかっこいいことは言わない。孤独を率先して愛せる人なんていないだろう。

マッツ・ミケルセンの孤独を見て、目の前に孤独な人がいるから人は力を振り絞れるんだと思わされた。孤独を抜け出す方法を私たちは知っている。大丈夫。

 

 

逃げることができない死に向かって今日も孤独に生きよう。